続・日本100名城 PR

豊臣政権の大和国支配の要‼︎ 古い街並みが今も残る城下町も必見‼︎【宇陀松山城 No.166】

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続・日本100名城 No.166 宇陀松山城(うだまつやまじょう)
住所 奈良県宇陀市大宇陀春日
スタンプ設置場所
  1. 宇陀市松山地区まちかどラボ
  2. 道の駅「宇陀路大宇陀」
入館時間 午前9時~午後5時
公式サイト https://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/naranoshiro/udamatsuyamajo/

こんにちは!最近はジムで泳ぐのにハマっている水陸両用BBAのカトレアです♪

梅雨入りと言いつつ、ピーカンでクソ暑い日が続いていますが、本格的に暑くなる前に山城に行ってきました!

今回は、標高471mの山頂に位置する宇陀松山城を攻めて参りました!!城址だけでなく、ノスタルジックな城下町や桜の名所として知られるアノ場所にも行ってきました!!

そんな訳で今回は、続・日本100名城 宇陀松山城攻城編です!!




道の駅「宇陀路大宇陀」からスタート♪

住所 奈良県宇陀市大宇陀拾生714-1
営業時間 8時〜18時・年中無休
公式サイト https://www.narakotsu.co.jp/udaji-oouda/

まずは道の駅「宇陀路大宇陀」にやってきました。宿場町をイメージした外観が印象的!8時を少し過ぎたばかりですが、すでに沢山の車が止まっています。



開店したばかりで、ちょうどせんと君が出てきてました( ・∇・)建物の外には足湯もあって、いい感じ♪

先に続・日本100名城スタンプをGET♪



まだ出発もしていませんが、道の駅に100名城スタンプが置いてあるので、先にスタンピング♪



ついでに道の駅スタンプが隣にあったので、そちらもスタンピング♪



続・日本100名城は山城や辺鄙な場所が多いですが、関西地区は残す所わずかとなりました(๑˃̵ᴗ˂̵)و ヨシ!スタンプも押せた事だし、このまま道の駅に車を置いて、徒歩で宇陀松山城へ向かいます!8時15分、出発進行!!

宇陀松山【重要伝統的建造物群保存地区】からお城へ♪



道の駅を出てすぐの交差点を右に曲がり、宇陀川に架けられた橋を渡ります。



その先に広がる【重要伝統的建造物群保存地区】



ノスタルジックな街並みのこの地区は、安土桃山時代に、豊臣秀長の家臣によって、宇陀松山城の城下町として整備・拡充されたそうです。



その際に建物の間口の広さによって課される税を免除して、有力な商人を誘致したので「間口も奥行きも広い」というこの地区ならではの町家が生まれたとされます。



電柱や電線、そして今も普通に生活されているので車が止まっていたりと、なかなか映えた写真が撮れません( ・∇・)お店や、入館できる建物もあるのですが、まだ時間が早いのでどこも開いていませんでした。



10分程歩くと、春日神社の参道に辿り着きました。宇陀松山城へいくルートはいくつかありますが、今回は春日神社の山裾からのルートで攻城します!



まだ朝の8時30分なのですが、すでにめちゃくちゃ暑いです!!梅雨どこいった?すでに汗だくですが、頑張って階段を登ります。



登り切ると、説明看板があって春日門跡と書かれていました。当時はここが大手筋正面だったようです。



ここから春日神社へ続く石段と、お城に向かうルートに分かれるのですが、とりあえず先に神社に参拝してから向かう事にしました。



段々と近場のお城を行きつくし、遠方まで出向かねばならぬ様になってきた城巡りですが、今後も順調に巡っていけますように!安全祈願をして、先ほどの位置に戻っていよいよお城に向かいます。

春日ルートで史跡 宇陀松山城跡へ♪



神社の石垣に沿う様にして山の中に入っていきます。木々が茂っているので、街を歩いていた時より全然涼しいです。



鬱蒼と繁る緑の中をどんどん歩いていきます。道は整備されていますが、登山道という感じ。しばらくは平坦な道を進みますが、いよいよここから登りの始まりです。もう完全に登山という雰囲気。



風もあるし木陰なので、立ち止まっていると涼やかですが、登り始めると滝汗;;もうこの程度の低山は、秋までお預けですね;暑すぎる・・・



だんだんと傾斜も急になってきますが、秋山城跡の看板を発見!もう近いのかな?心が逸ります♪ぐっとキツイ階段を登り切ると、なんと車道と合流。



この下に駐車場があって、そこまで車でくる事も出来る様です。ちなみに道標は道の駅を指していました。楽したい人は、こっちからどうぞ。



でもここからは、何人も歩かねばなりません。史跡宇陀松山城跡について書かれた大きな説明看板があります。主郭部へはまもなくの模様。



おそらく最後の登りです。木陰が城郭へと導いてくれているので、道なりに緩やかに登っていきます。



ここから急に城址っぽい地形になってきます。地形を活かして工夫の凝らされた防衛設備。



説明看板が立っていたので、読んでみると南西虎口部(雀門跡)と書かれていました。



数多の防御策を乗り越え?一路本丸へ!何となく石垣の後っぽい箇所や、堀切の様な場所があります。




史跡 宇陀松山城 本丸



山頂部まで登り切ると、急にだだっ広い草原に出ました。ここが本丸跡で、東西50m・南北45mの広さがある城内最大の郭だったようです。



宇陀松山城の旧名は阿紀山城/秋山城(あきやまじょう)や神楽岡の城(かぐらおかのしろ)とも言います。宇陀松山城は宇陀郡を領分する有力国人宇陀三将(秋山氏、芳野氏、沢氏)の一人、秋山氏が居城として古城山に山城を築いたのに始まるそうです。



築城時期についてはわかっていませんが、南北朝時代には構えられていたと思われます。また、城名は秋山氏が居城としていた頃は松山城とは呼ばれず、秋山城と呼ばれていました。松山秋山って似ていてややこしいな。

史跡 宇陀松山城 天守郭跡



さらに小高い部分があって、登ってみると天守郭跡がありました。時刻は8時48分なので、時間はそんなにかかってない感じ。ここには天守に相当する多重の建造物が存在したと思われると書かれていました。



ここが、宇陀城山(標高:471m)の山頂です!豊臣政権下では、大和郡山城、高取城とともに、大和国支配の要でもありました。地形を活かした典型的な山城であったこの城に、「抜け穴があったのではないか」との伝説もあるんだとか。



眺望もよく、ここから大峰山脈までスカっとっ見渡せます!宇陀松山城は「関ケ原の戦い」の後は福島高晴が入城しましたが、1615年(元和元年)の「大坂夏の陣」において豊臣方に内通したとして、高晴は改易され城も小堀遠州らによって破却され廃城となりました。



景色を楽しんだあとは下山です。下りはとても涼しく快適でした。むしろ街に出てからの方が暑かったです。木陰って偉大。



街に戻ったあとは、道標を頼りに松山西口関門跡を見に行きます。



街道感あふれる石碑。場所を調べなくても、あちこちに道標があるので辿っていけば大丈夫でした。

史跡 松山西口関門


史跡松山西口関門は、16世紀末から17世紀初頭に、福島総部頭孝治が城下を整備する際に作られた現存する初期の「高麗門」の形式で、、城下町の重要な出入口です。ここから、春日門に通じる道は、大手筋にあたり、敵が攻めてきた際に、スピードを緩めるよう、道路を直角に曲げています。地元では、黒い色をしていることから、「黒門」と呼ばれて大切にされています。ーhttps://www.city.uda.lg.jp/soshiki/41/1099.htmlよりー



さっきの春日門はここから通じていたんですね!今回の攻城はここで終了。まだ9時過ぎで、時間がたっぷりあったのでこの後は有名なアレを見に行きました。

又兵衛桜(またべえさくら)



城下町から約2kmほどなので、30分くらい歩けば(暑いけど)又兵衛桜を見に行く事ができます。



もちろん今は桜の時期ではないので、花は咲いていませんが有名なのでどんな感じなのか見てみたかったのです。



とっても大きな枝垂れ桜で、大阪夏の陣で活躍した後藤又兵衛さんゆかりの桜なんだそうです。



大きすぎて近くで撮ると迫力が伝わりませんね。桜の周りには電流の流れるロープが張り巡らされていて、近寄れない様になっています。川向こうからのショット。



サイズ感伝われ!周囲にも沢山の桜が植えられているので、春には桜並木からの又兵衛桜が圧巻のはず。でも大渋滞の人気スポットなので、新緑の桜で充分満足です^^今日は朝活がたっぷり楽しめました!暑すぎて一切走ってませんが、山に登ったから合格←

暑さに負けず、今年の夏も楽しんでいきましょう♪今回も最後までご覧いただき、ありがとうございました(*˘︶˘*).。.:*♡